坂本竜馬の卵

舵とブーツ
舵とブーツ

坂本竜馬の卵です。

竜馬の夢は「左」の写真のように、自ら舵を握ってブーツをはいて世界中を商いすることだったのですね。当時の殺伐とした血なまぐさい戦いは竜馬にとっては「夢」を実現するための最低必要条件だったと思います。

竜馬は典型的なTHINK DIFFERENT の人でした。討幕を叫んでいるさなかに竜馬だけが「世界の中の日本」をイメージ出来たのですから。

幕末の沢山の英雄の中で特に際立って輝いている星が坂本竜馬です。

坂本竜馬の卵について考えていきたいと思います。

まずは脱藩の志士です。

藩が卵とすれば竜馬は空を破って外に飛び出していったのです。この当時は明確な信念もまだ兼ね備えていません。この当時は脱藩は死罪に値するものです。しかし竜馬は見切っていた、ここにいても世の中のためには自分は働けはしないと。脱藩すると家族までその罪が問われるやもしれませんが、竜馬はそれでも脱藩と言う道を選んだのです。勇気を持って卵の殻を破って出ていったのです。

竜馬は他人の卵まで割ってしまいました。それが歴史を大きく動かすことになるのです。それは「薩長連合」です。両藩の卵を割って一つのフライパンに乗せて一緒の料理にしてしまったのは竜馬の卵料理に他なりません。

竜馬は新しい卵を沢山生みだしたり使いこなしたりしました。

明治維新 新婚旅行 株式会社 ピストル ブーツというような多様な新時代の卵です。

羽織袴にブーツとピストルなんて今でも斬新な組み合わせだと思いますし、その当時の人から見れば何という驚きの姿でしょうか。

竜馬は最も大きな卵を生みだしました。それは「日本国」「日本人」「自由」「平等」だと思います。これが竜馬が生んだ最大の大きな卵ではないでしょうか。

差別社会の中で「日本国」「平等」を生み出した竜馬は真に勇気ある人だと思いませんか?

ではなぜ下級武士の竜馬は卵を割ったり生みだしたり出来たのでしょうか?

もっとその他の維新の志士もその機会があったのではないでしょうか?

その竜馬と維新の志士の決定的な違い、それは竜馬が「型」にはまることをしなかった事だと思います。

竜馬の残した言葉に「家は人の型を作ってしまうから自分は家は持たない」という言葉があります。

僕はこの言葉に注目しています、

竜馬は傍目から見れば「討幕」についたり「幕府」よりにいたり絶えずその位置がずれて見えたはずです。竜馬には「日本国」「日本人」という立場でしか行動をとりませんから当然の事です。

竜馬は一定の場所で同じ思考の「型」にはまるのを自ら避けていたと思います。変わり続ける環境に対しては常に流動的な考えを持たなければいけません。だから竜馬は家を持つことをしなかった、つまり「型」にはまることを避けたのです。竜馬が他の志士と違うのはここです。

竜馬はこの当時最高の「THINK DIFFRENT」の人だと僕は思います。

誰も思いも想像すらできないことを竜馬は「情熱」と「イメージ力」と「自分の行動力」で主張し実現していこうとしたのです。

江戸時代から300年も長い間, 定められた鎖国という卵を割ったのは坂本竜馬だったとも言えるでしょう。そして明治維新という卵を産んだのも坂本竜馬だと僕は思います。