「感性」

450万年前 感性が武器だった〜

 

450万年前。

人類は樹上生活者でした。つまり現在の猿と同様に「樹上」で生活をしていたのです。そして人類は「平原」に降りて、2本足で歩きはじめて世界中に分散しつつ「言葉」を話せるように

なり「火」をあつかえるようになり、やがて4大文明の誕生を見るのです。樹上から平原に降りるという行為を考えてみましょう。このことはとても危険な行為です。なぜならば他の肉獣

にとって人類は「獲物」以外の何物でもなかったのですから。 では人類の武器は何でしょうか?巨大で危険な牙や爪を持つ相手に対して人類が対抗できた武器は「感性」です。脳学では「感性」は「前頭葉知性」にあるといわれており、ちょうど「おでこの裏側」あたりです。 

牙に対抗する武器は「前頭葉知性」だったのです。心臓のように大切な臓器を人間の体は、骨で守りますが、この武器を人類は敵と対面する最も危険な場所に備えている知的な生き物だったのです。 「武力」に対して「知」で対応した訳です。

 

例えば樹上から降りるタイミングを計るときに、五感を最大限に感じて危険を感知していた事でしょう。視聴覚や嗅覚の機能を最大限に生かしつつも、最も人類が優れた武器「前頭葉知性」を使って「気配」や「雰囲気」を感じ取り草原に降り立ったのでしょう。これを繰り返すに内に「経験」が「知識」となり仲間全体に広がり、子孫に引き継がれて、つまりは経験による「知識化」が芽生えていったと考えます。

このように450万年前から我々人類は「感性」を使って生きているのです。感性を前輪にして、経験による知識化(理論)を後輪にして進化して来たのです。

 

そして現代はどうかと言うと、前輪も後輪も「ロジカルシンキング」論理一辺倒の社会になっているとはいえませんか?思考の入り口は「分析マヒ症候群」がはびこり変化する環境に対し

て順応出来なくなっています。教育も「記憶」と「計算」の評価が基準となり「創造性」を養う事が無くなってしまいました。環境が永遠に変化しなければ論理一辺倒でも構わないのかもしれませんが、我々の環境は絶えず変化します。我々は最初に感性力で感じる事がとても重要な時期に来ています。左脳を使うロジカル思考はコンピュータと同じく「暗記」と「計算」の力です。前輪にロジカル思考を持ってくると、情源が一緒で計算式も一緒なのでほぼ「同じ答え」が出てきます。しかし「感性」を前輪に考えると「個の創造物」が生まれます。

 

それは自然界と同じように様々な生命体なのです。自然界は豊かな多種多様な生命で満ちあふれています。多種多様な生命はその生命維持のための個性的な活動を行っています。

現代においては右肩上がりの経済活動は日本国内だけですと「異業種格闘技化」現象と世界市場戦略が考えられる訳です。一方「感性」を使った新魅力価値創造戦略(INNOVATION)が

求められるのです。既存の産業は、先進国から開発途上国に移行します。先進国の大きな役割は「新産業の創造」なのです。

 

 

 

誰も他人のやり方を真似すべきではない。

なぜなら、真似をすれば、自然の子供ではなく、自然の孫でし

かない。我々には自然の形態が沢山与えられているのだから

直接自然に触れることが大事だ。

レオナルド・ダ・ビンチ