伝承と伝統は異なる

 

伝承は字の如く「伝え」られる事を「承る」という意味を持つ。伝える人と受け止める人がいて、その内容は「変わらない」という事が重要である。そこには「固定化」された変わらない「価値」が存在する。しかし「価値」を決定できるのはその「時代の気分」である。ある時代は重宝され、ある時代には忘れられそうになり、そして時代が変わればまた重宝されたりするのだろう。伝承は「時代の気分」に翻弄されながらその価値を変動させながら、継承されているのだろう。無くなってしまった「伝承」も多々歴史の中に眠っているのだ。その眠っている伝承を引きだすことも面白い行為だと思う。そこは「宝の山」かもしれないのだから。


一方「伝統」はどうだろう。「伝える」事を「つなぐ」という意味が読みとれる。「つなぐ」という意味はどういう事だろう?これが意味するものはいかなる「時代の気分」で価値感が変わろうとも、その「時代の気分」に合わせつつ「伝える」事や物を「時代の気分」から次の「時代の気分」につなぐ事を意味すると思う。すなわちどんなに「時代の気分」が変わってもその価値をつないで維持する事が伝統なんだと思う。非常に面白い事である。伝統工芸である歌舞伎を見てみると世界中で公演されて「SUPER KABUKI」という進化型の歌舞伎のスタイルを表現している。歌舞伎の価値が変わらないのは歌舞伎の変化するという「伝統力」が強いからだ。商品には五重の構造があり一番コアの部分は「存在目的・哲学」である。その廻りには「存在目的・哲学」を表現する為の「機能」がある。そしてその「機能」の廻りに「表現」がある。どの「時代の気分」になろうともこのコアの部分「存在目的・哲学」と「機能」は不動である。ここまでが「伝承」と言えるだろう。そしてその廻りの「表現」は伝統になり変化させなければいけない。


「時代の気分」に合わせて表現をどのように変化させていくのか?ここが大きなポイントである。まさに「感性」をベースとしたクリエイションの世界なのだ。ここに「感性」の質という問題が出てくる。この質が低ければ「時代の気分」の中で忘れられてしまう。本当にこのポイントは難しい。


日本の伝統工芸を見てみると「伝統」と「伝承」を勘違いしている事も多々見受けられるが何よりも、「時代の気分」の価値感に「表現」を変化させるポイントが弱いと感じる。単刀直入に言えば「感性」がうまく機能していないのだ。


これは企業にも言えることだと思う。

伝統を重んじるという言葉がある。これは「時代の気分」に従って表現を変えていく事を重んじると云う事だ。簡単にいえば「変化」が得意だと云う事だが、どうも使われ方をみると「変化させない」事を重んじている気がしてならない。

「これが当社の伝統だ」というものがあればそれが「変化」しているか「固定」されているかチェックしてみてはどうだろう。もし「固定」であるのならばそれは「伝統」ではなく「伝承」である。


「伝承」は「時代の気分」の中で淘汰されてしまう。


 


 


我々の肉体に宿っている生命体は常に変化を求めている。


それは変化なくして前進はないからだ。


無意識に肉体も感じ取っている。


知らない場所を訪ねたり、未経験の事にチャレンジしたり


新鮮な感動を追い求めることは、肉体と精神が欲している


この要求を満たすことが成功につながる


トーマス・エジソン