弱まる「権威と地位」へのあこがれ

古から「権威」に対する憧れがあったからこそ様々な産業が栄えたのだと僕は思う。王家が所有する物に憧れて貴族が同じような物を競争して持とうとする。当時のオピニオンリーダーであり絶対的なインフルエンサーであった王家や貴族に気にってもらえれば「名誉」「名声」を得ることができ仕事も安定するので生産者は良い商品を作ることに切磋琢磨したのだ。その切磋琢磨は言い換えれば「生産」のインフラの開発であり差別化であり多用化だったのだ。その周りに模倣する者、その一部を開発する者。多くのインフラがピラミッド型の産業を多様化し大きくした。それはまた現代のラグジュアリーブランドの原点でもある。「ヘルメス」は馬具王族に愛され、「ルイヴィトン」は旅行鞄を「フェラガモ」は靴を、日本で言えば御用達ブランドの「とらや」は羊羹を「香栄堂」は線香を。つまりそこには地位や権威に対する憧れと憧憬があったのだ。それが20世紀に入り崩れてしまっていると思うのだ。若い人の現象としては「留学しない」「転職しない」「出世しない」「結婚しない」「男性の女子化」現象。山口組が分裂しても大きな仁義なき争いは起きなかった。(望んでいるわけではないです)アイドルも手が届かない価値から、手が届くファンが一緒に作る小粒集合型のアイドルに変わってしまった。これにSNSの普及が重なり情報を広く早く知ることができるようになったことも後押ししている。言い換えると単独大物が生まれにくい世の中に変わったのだ。

その原因は権威の崩壊に他ならない。一部上場の企業の「粉飾決算」や「不正行為」が暴かれて「涙の会見」を開く。政治家は暴言や失言に失態を謝罪しようとしない。高学歴のエリートは人格的に倫理的にも歪んていたことが暴露されてしまった。このような姿が地位や権威に対する憧れを弱くしている。あんな立場になったら大変だからなりたくないから、あの立場でもあんなものなのか?

という印象を与えた現在の該当する政治家や経済人の責任は非常に重い。