山の精霊(エッセイ)

中学時代の僕は、福岡市の筑紫丘中学山岳部に所属していた。入部のきっかけは仲が良い友人達に「女の子にモテる」と言われて入部したわけである。なぜならば、夏休みの一大イベントとして山岳部が、大分県の久住山に1年生を引率してキャンプの飯盒の炊き方から、登山の指導もやる役目なのである。自分も楽しいしこんなに趣味と実益を兼ねた部活は無かったのだ。そして結果は、確かにもてたのは間違いなかった。しかし山のエッセイ文としては少しずれており、このまま続けると女の子との交換日記やデートやふられた思春期エッセイになってしまいそうなので、この話の方が面白いかもしれないのだが今回は男の山の思い出を書こうと思う。

 

筑紫丘高校の山岳部の先輩達が、僕らに高校山岳部の怖さを教えるために「三群縦走一泊二日強行キャンプ」をやらされた思い出がある。三郡縦走とは、福岡県を東から西へ囲むような山脈で若杉山(681m)から三群山(936m)そして宝満山(827m)と三つの山の尾根約20キロメートルを縦走する事を言う。最後の宝満山を下ると学問の神様菅原道真で有名な太宰府天満宮である。下山して食べる名物の「梅が枝餅」が楽しみだった。おっともう下山の話をしてしまった、まだ登ってもいないのに。

 

2人の先輩に連れられて、モテたいがためだけに入った僕は30kgのキスリングを背負わされて若杉山の山頂を目指して登り始めた。ちなみに先輩のキスリングは10kg程度なのだ。一歩一歩踏みしめて登り始めるのだが筑紫ヶ丘山岳部の隊列は中々進まない。登山口の前の若杉神社でもう肩が痛くて泣きそうなのである。隊列は先頭から2番目にペースメーカーとして最も体力がない奴を置くのである。そのペースメーカーは、新入生の原君だった。原君は新入生の中で体力テストをやれば間違いなくビリから10傑に入る無体力の持ち主である。だから僕らの筑紫ヶ丘中学校山岳部の隊列は中々前に進まないのだ。さすがの先輩もこの恐ろしく無体力なペースメーカーがもたらす超遅い鈍牛攻撃に驚いているようだった。頻繁に10名ほどの行列がピタリと止まるのは原君が苦しい形相で空を見上げて止まってしまうからだ。しかもどういう訳か原君は、平日に学校に着ていく白い制服シャツを着ているではないか。白い制服を着た原君が止まる場所は、急斜面を登り切ったあたりなので、最後尾の僕はいつも急斜面や岩のぼりの最中なのだ。原君は先輩から叱咤激励されてそれでも一歩一歩鈍牛の如く登っていた。原君の白い制服のシャツは既に汗と汚れでまだら模様に変色し、黒ぶちの斜めになってしまった眼鏡は汗と汚れで鈍くどんよりとしている。業を煮やした先輩は、鈍牛原君のキスリングを軽くするという決断を下した。そしてその荷物は最後尾の部員へ移すという暴挙に出たのだ。つまり僕のキスリングが35kgになってしまったのだ。それから原君のペースが上がったのはゆうまでもないが、決して早くもならないのが原君の凄いところなのだ。4時間の苦闘で隊列は若杉山越えを経て今度は急な下り坂に入った。若杉山は仏教信仰の山なのでお辺土さんが軽い足取りで僕らを追い越しながら、「重そうね。頑張って」と声をかけてくれる。そして原君の姿を見ると、可哀想にという目をするのだ。可哀想な理由は、疲れていて可哀想なというケースと登山に向いてないのにという二つの意味があるがこの場合は間違いなく後者なのである。やっとの思いで若杉山を越えて下ってキャンプ地に着いた。そこは丘に囲まれた小さな盆地になっており近場には湧き水が溢れた理想的なキャンプ地だ。とは言っても急速に夕暮れが迫り、初秋の山は季節が半歩先にやって来る。山の透き通る冷気がジワジワと迫ってくる気がする。自然は奥が深くて先が見えず身近に感じる「暗闇」に畏怖の念を中学生ながらに感じた。

晩飯である。原君が懸命に火を起こしている、後輩である原君の役目なのだ。飯盒炊飯とカレー用の火が必要だ。カレーは僕等上級生も作りたいので積極的に参加して順調に進んでいる。火の回りは何かと男らしくてかっこいいのだ。火の調整をしかめ顔でやったりすると「これカッコいいじゃん」なんて思ってしまう年頃なのだ。カレーのいい香りがしてきたな!この時期はまだビールの味も知らない中学生なのだ。腹ペコペコだぜ。飯はまだかい?原君?まだ?まだ?原君?まだ?原君はうつ向いて沈黙している。

おかしいのだ飯盒がグツグツ言わない。グツグツ言って白い湯気がふわっと出たら、追い焚き木をいれて完成のおはずなのにグツグツもフンとも飯盒は言わないのだ。おかしい。絶対におかしいぞこれは! 友達が蓋を開けて見た!みんなで覗き込んだ!なんと米がビニールに入ったままではないか❗️言葉を一瞬全員で無くした次の瞬間、「この馬鹿タレ!」「帰れ馬鹿たれが!」❗️罵倒の嵐が原君を襲った。原君は開ける瞬間に思い出したらしく既に頭を下げていて視線が合わないようにしていた。ビニールに入った3合のお米は飯盒の中に入れられてどうしようもない時間を過ごしていたのだ。熱いのだかご飯になりきれないお米の気持ちは複雑だったと思う。

やっとの思いで炊き上がったご飯を食べた時はもはや我々のベースキャンプは漆黒の暗闇に支配されて僕等は焚き木の火の周りに集まり、連続おかわりでカレーライスを食べ尽くしたのだ。暗闇に浮かぶ原君の真っ黒に汚れた白いシャツに黄色いカレー色が混ざり、汗と涙と汚れで一杯の黒ぶち眼鏡が面白可笑しく浮かんでた。

 

翌日 山は漆黒の世界から光の世界に戻っていく。漆黒の中には僕らがまだ知らない「物」があったり、いたりしたのかもしれないが眩い朝日が知らない「物」を見えなくしてしまった。

今日は三郡山を目指してその尾根を歩き最終ゴールの宝満山を目指す日だ。我々の部隊は昨夜と同じように原君をぺースメーカーとして進み始めた。カッコウの声が山に響いて深い森に吸い込まれて行く。「ローデンの森」だ。ひんやりとした風が僕の頬に触れていく。何?今の?

 

原君は相変わらずマイペースでペースメーカーを続ける。僕は自分だけで単独で歩きたくなり先輩に申し出た。一人で歩くとどういう感じなのか歩いてみたいと言ったのだ。先輩は快く次の尾根で待っているのであれば僕の単独登頂を認めてくれた。僕にとっては鳥籠の鳥が放たれたようなものだ。なぜ、こんな事を申し出たのだろう。山の聖霊が降りてきて僕に囁いたのだ。一人で山を歩いてごらんと。多分そんな事だと思う。そして僕は、皆にあとでね!と言って歩き出した。

先頭を歩くとはこんなにも楽しくて自由な事なんだと思った。15分ほど歩いただろうか?後ろの隊列の声は聞こえない。何か変なのだ。鳥肌が立ちはじめたのだ。誰にも合わずに誰の声もしない。頭上には秋の太陽が輝いて、鳥たちの囀る声がして、秋の草花が道の脇に咲き乱れて秋風が草花を波のように揺らしている自然の中に僕だけが孤立しているのだ。怖い。鳥肌が立ってドキドキしている。初めての経験だ。漆黒の夜の帳に取り残されたのではなくて、対照的な明るい世界にいるのにそれが怖いのだ。僕は歩く速度を早めて急坂を登り下る。時間が過ぎない、なんて永い時間なのだろう。後ろは振り向かない。前しか見ない。黙って鳥肌を立てて一身に歩き続ける。と 歩く方向から人の声が聞こえた気がした。僕は速度を早めてその声に会いに行く。宝満山から登ってきた人達だ。「こんにちわ。いい天気ですね。」会話ができたと同時に僕の恐怖と鳥肌が消えた。そも後も二度とその恐怖を味わうことはなかった。多分僕は夜に出会った精霊と太陽の下で同じように出会っていたのではないかと思う。表宇宙と裏宇宙があるように聖霊も暗闇と光の中で現れるのだ。僕の短くて長い不思議な単独縦走が終わった。

 

最後の宝満山の大きな岩の頂に皆で立った。汗が乾いてひんやりとするがそれがまた心地良い。多分一年でも何度もこんな爽快な初秋の気候は無いのではないだろうか?

宝満山という山はいわゆる大きな岩が積まれて出来た山だ。ピラミッドみたいに見える塊もあれば土と岩が混ざり合ったような断層もある、つまりガタガタデコボコの急坂の山道なのだ。

そこで先輩が最後の命令を僕らに下した。

「お前たちこれから走って宝満神社まで競争しろ!」

「オッス!」僕らは若い血塩の中学生だ。そんなことへとも思わない。僕のキスリングは原君の

コッフェルやポリタンや鍋でいつの間にか増えており歩くたびにアルプスの少女ハイジに出てくる放牧された牛のように「カランカラン」と金属が大合奏する状態だった。

皆一斉に駈け出した、いや駆け下り落ちだしたと言った方が適切かもしれない。飛び跳ねる度に

キスリングの重さが後押ししてスピードを増すのだ。僕の背中は金属の大合奏が続いている。

僕は二つの運動部を掛け持ちしていて片方は野球部だ。こちらの練習はずっときつい事をしていたので山岳部のこの程度の運動は平気だった。ケツバットの痛さに比べるとこんな事は朝飯前の金太郎だ。なんだ?金太郎って?まあいい続けよう。僕は鍛えられた体力と俊敏な運動神経でいななく友人たちを追い越してとうとう首位に躍り出た。僕のキスリングも後押しするものだから

ダントツ一位でふもとの宝満神社にたどりついた。

 

やはり僕は早いんだなんて良い気持ちで優越感に浸っていると仲間が次々とゴールしてくる。

「ポンちゃん(僕の当時のあだな)ずるいよ。コッフェルや鍋やポリタンを放り出して走るんだから!」みんな同じ事を叫びながら笑って呆れて降りてくる。

え!賑やかだった僕のキスリングが無口になっている事に気がついた。皆が僕の荷物、元原君の装備を持って下山してくるのだった。

最後にもちろん原君がゴールしてきた。

白いシャツは真っ黒とカレー色に汚れ破れ(途中で転んだらしい)肘は擦り傷で血が出ている。

メガネは落としてふんづけたのかもうぐちゃぐちゃ状態だ。

でも彼も満足した顔でゴールした。

 

これが僕の一番の山の思い出だ。

最近聴いたのだか、原君は筑紫ヶ丘高校そして九州大学に入り登山部を続けた。筑紫ヶ丘中学山岳部で彼だけがずっと山に登り続けたのだ。

しかし雪山で遭難して帰らぬ人になってしまったそうだ。

一番山を愛していたのはペースメーカーの原君だった。

 

原君にこのエッセイを捧げます。