時計と時間」 
               〜時間と歴史とApple Watch〜 

奈良時代の話である。 
時計と時間は質がちがう。時計は見えない時間を表す 手段にすぎないが、時間は人を管理してしまう。  

平城京には「水時計」があり時間で人々を律していた時代の始まりではないだろうか。文献によると日の出 前から早朝出勤していたらしく、朝ご飯も提供されて いたんだとか。残業はもちろん泊まりで仕事していた らしい。現代の民間企業と変わらないではないか! 

僕が生まれた実家は、醤油屋と農家を商いとして玄関 を入ると大きな座敷があり神棚が飾ってあった。 その横に神棚と変わらない程の威厳を持つ大きな黒 い柱時計が時を刻み時間ごとに「ボーン」「ボーン」 と家中に響き時の経過を告げていた。  

そして時計は柱 から降りて小さくなっていった。ついに一人一台づつ の目覚まし時計に進化した。腕時計は上流階級の象徴 だったが、社会人になった時の欠かせないセレモニー 的な商品に変化して行った。  

時計は武士にとっては 刀のようなビジネスマンの象徴だった。  
しかし今は スマホが市場に浸透して腕時計をする人が減った。  

そして手首が空白になっていたのだ。 
その空白の場所を狙ってAPPLE WATCHがやって来 た。STEVE JOBS以外の初のAPPLE商品である。  

それは時間を表すよりも「ライフスタイル」をサポート する商品らしい。  
どうもSTEVE JOBSの罠は続いて いて MAC ,iPOD, iPAD, Air, Smart phoneを購入し た人は彼が亡くなってもその世界から抜け出せない らしい。  

時間が人を律していた奈良時代から、ITが人を律す る時代に入ろうとしている。  

我々がITを律して使わなければホーキング博士が言 っているように人工知能に管理されてしまいそうだ。  

パンドラの箱は閉まらないのだ。