価値軸の変化  
               「薄まる凄さの時代」  

凄さが薄くなっている。  
「偉人」「崇光」「スター」「カリスマ」このような言葉が敬遠されている時代が訪れている。心理的には「あんなに偉い人はたまらない。疲れてしまう。目指したくない。耐えられない」そんな気持ちが若い世代に広がっている。いわゆる「さとり世代」と言われる言葉が象徴している。「傷つくから恋愛しない」「ブランドは着ない」「海外に行かない」「留学はしない」「転職はしない」このような心の価値軸の動きである。  
これを「価値小粒分散化社会」と言う。一人称や大きな塊の価値ではなくAKBに代表されるような、チーム称でファンの手が届く範囲の「憧れ」が受けいれられる価値である。消費者参加型の企画が多いの頷ける。なんだか社会全体が「こじんまり化」しているようで仕方ない。成熟化社会とはこういうものだろうか?市場から活気が無くなっていくような気がして仕方ない。 
 
山口組の分裂したが大きな抗争は起こっていない。それどころかお互いの組が事件が起こらないようにそれぞれ「巡回警備」  しているそうだ。決して抗争を望んでいるわけではないが、社会の隅々に「さとり時代」の風潮が広がっていることを現しているように思う。経済人も政治家も「小粒」だらけだ。  
価値軸の動きを見てみよう。  
 

2000年までは「予定調和」上に価値の変化は現れた。しかしそれ以降は「予定調和を外した螺旋上」に価値の変化が現れている。現代はマーケットインの発想ではなくプロダクトアウトの発想が有効である。プロダクトアウトの「魅力」は小粒に分散した価値の塊を引きつけて大きな塊にすることができるからだ。価値軸をずらして生み出すプロダクトアウトの発想は「感性」「右脳」の働きが生み出す。あなたの「感性」は研ぎ澄まされているだろうか?