神は細部に宿る


〜日本国宝展(東京国立博物館)〜


昨日 上野の国立博物館の国宝展を見に行った。平日なのに待ち

時間10分の大盛況だ。

7〜8世紀の飛鳥、奈良時代の国宝が迎えてくれる。日本史の教科書の写真で見た国宝が目の前に鎮座している。玉虫厨子に惹かれて見つめていた。「美しいのだ」繊細で細部を見ればみるほど精緻な細工や細やかな気配りを感じる。製作者の霊や鼓動や想いが細部に宿っているのだ。細部のきめ細やかな気配りが全体の作風の魂を創り上げているのだ。国宝は端の誰も見ないよう部分や彫刻の裏側の気がつかない見ようにも見えない部分に偉大なる気配りとクリエイションとバランスを感じるのだ。

仕事や芸術やスポーツもまたしかり。細部の見落としそうな細

かいところの気配りが出来てなければ完成度は高くはならない。

 

まさに「神は細部に宿る」のだ。

 

それを上回る国宝が展示されていた。

それは「縄文のビーナス」と名付けられた土偶だ。縄文時代 紀元前3000年〜4000年に創られた妊婦女性の土偶に深く厳かな感動を覚えた。前から横から後ろから飽きる事無く見つめていた。この土偶は自然体で作られていて、上手に作ろうというよ
うな邪念が全く感じないのだ。全く純粋で無邪気な子供が作ったような作品なのだ。多分、作品ではなく自分の娘もしくは夫が妻の安産を祈って作ったのではないかと思うのだ。この時代は安産で生まれる事こそが人々の大きな祈りで、新しい生命が生まれる事自体が神と自然への畏怖だったのだろう。

大切な人の為の祈りなのである。祈りがこの土偶を作ったのではないだろうか。そして祈る人の感性が土偶のデザインを自然に生み出したのではないかと思う。

「感性は想いやりに宿る」この祈りの土偶が教えてくれた。

 

是非皆さんもこの国宝展をご覧下さい。

日本の感性の質の歴史を感じると思います。時代はデジタル化へ加速し新たな未来へ繋がろうとしている現代だからこそ忘れ

てはいけないとても重要な「人間の想いの原点」を教えてくれ

ると思います。