感性の政治

 


平安時代の天皇は五感を奨励して政治を行っていたと言う。

京都のある歴史研究家からお聞きした。その頃の一般の人々は殆ど読み書きが出来る人はいなかったはず。

しかし、見えないものを感じる力を備えていたという。その見えないものが感性なのだ。そして感性は自然と文化芸術と大きな繋がりを持つ知性なのだ。感性によって文化文芸を奨励すると人々の平均的知的レベルが上がって行ったのではないだろうか?それはまた平和への入り口ではなかったか。

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ではその感性がどこから生まれたのか?


それは自然を畏れて共に共存するという生活の中で生まれたのではないだろうか。その生活の中で 自然の 美しさの中に感性を育んで来たのではないだろうか?日本の国土を考えてみよう。


国土を海に囲まれて高い山々が南北に伸びる国土の中央を走り、所々で熱いマグマを吐き出し温泉という湯船を造る。そして川はその狭い平野を急流となって平野の土を削りながら海に流れこみ大きな三角州を造る。大陸のゆっくりと動かない流れに比べてなんと早い流れなのか。自然の営みが速いのだ。早いテンポで生きている島なのだ。そして温暖な地域だけに訪れる四季という自然の恵み。四季折々の色 香り 音 味 がこの島を訪れる。そして美しさや恐ろしさを恵みとして民族に与えてきたのだ。この恵まれた環境がこの日本民族の根底のある魂を作り上げてくれたものだと思う。この自然の子供の民族は一神教は馴染まない。なぜならば沢山の自然の神様がそれぞれの物や事を守ってくれる事を知っているから。


人間は自然の子供なのである。


対象的なののがイスラムの神様だ。広い砂漠の中でコーランが響き渡るがまるでそれは天に向かって叫んでいるように聞こえる。俺はこんなに働いているのに何故生活が苦しいのだというようなそんな勢いが祈りというか文句というか必死に伝えようとしているように感じられる。一神教は他に逃げ道がないのである。日本のように沢山の神様がいれば祈り分けることが出来る。


人間は自然の子供なのである。


では南国の恵まれた島の民族はどうだろう。こんな逸話がある。あまりにも働かないで一日中寝そべっている地元の人達を見た植民地化したヨーロッパ人が現地の人にこう言った。


寝てばかりいないで働いたらどうだ。

働くとどうなる。

素晴らしい家に住めて美味しい食べ物を食べる事が出来る。

それなら今と同じだ。

そう彼らの島は果物や漁に恵まれていて手を伸ばせば好きな果物が

食べることが出来たのだ。


ここもまた人間は自然の子供なのである。

目に見えるものしか信じられないのではなく「目に見えないもの」
に大きな価値を見出す。 目に見えないからこそ大切にし守り伝えていかない事を大事にする。 日本人が潜在的に持っている感覚を掘り

起こし 「モノ」ではなく「見えないもの」を大切にする価値感を輝かせることが今後一層 求められるのではないだろうか。


これが実は世界中で最も優れた日本人の特徴ではないだろうか?

 

なにごとの おはしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる

西行:伊勢神宮


目に見えないを心で感じ、誰でも自ずと手を合わせ、お願いごとや感謝の気持ちを表し逆に神様から大きな安心感や元気をもらう。日本人は四季の移ろいや森羅万象の自然現象の中で生きてきた。自然や人との繋がりの中で「絆」「思いやり」「敬意」「感謝」「礼儀」を大切にしてきた。目に見えるものしか信じられないのではなく「目に見えないもの」に大きな価値を見出す。目に見えないからこそ大切にし守り伝えていかない事を大事にする。日本人が潜在的に持っている感覚を掘り起こし 「モノ」ではなく「見えないもの」を大切にする価値感を輝かせることが今後一層 求められるのではないだろうか。

(西高辻信宏氏 大宰府天満権宮司)

 

そして地理的な日本の位置が大変興味深い。この日本の東の果てでその向こうは太平洋なのだ。つまりシルクロードを通ってきた文化は日本が終着駅なのだ。その日本は一神教ではなく沢山の神々が人々の心に生きているのだ。だからくるものは拒むことはしないが、それをそのまま受け入れるのではなく今までの生活や文化の中に溶け込ませて中庸や折衷として受け止めて行くのだ。そこには新しいInnovationが起こる可能性が秘めている。そんなDNAを我々は本能的に備えているのではないだろうか?合理的や世界基準という概念と全く反対側の民族が日本人ではないだろうか?なぜそれを無理やり捨てないといけないのだろう?無理に合理的思考や世界水準思考に合わせること自体が無理なのではと僕は思う。

ガラパゴス化が何故いけないのだろう?世界水準よりも進んだガラパゴス化を創ればいいだけのことではないだろうか?