「凄さ」という価値観の変化 

 

時代には「気持ち」という大きな流れがある。

その大きな潮流のひとつが「凄さ」の価値の変化ではないかと思う。凄さが持つ本質的な付加価値は「偉大」「崇高」「カリスマ」「スター」「憧れ」である。なれないのはわかっているけど、それでも

そこを目指すという気持ちにさせてくれるのが「凄さ」という価値感であったと思う。ところがその価値感に大きな変化が起きている気がするのだ。それは付加価値の逆付加価値の台頭である。「あんな偉い人は大変だ」「大きな重荷を持つことになる」「目指したくない」「あんなのは耐えられない」というような思いの価値感が台頭しているような気がするのだ。

 

一つの原因として絶対的な強さを持つと信じていた物(大企業の倒産)や事(東日本大震災)が次々

と壊れていく姿を目にしているのも理由の一つかとは思う。一生懸命働いても年収1000万円を超える人は僅か。しかもリストラで最後まで会社に残れない大人を見てきたのだ。

 

そこに現れたのが「フレンドリーなヒーロー」の誕生である。AKB48に始まり今はキャリーパミュパミュが身近なところから現れた新しいヒーローなのだ。今も新しい身近なヒーローが生まれている。

 

 

これはファッションの世界にも顕著に表れている。

ラグジュアリーブランドに強い新宿伊勢丹と梅田阪急が大改装をして売上も堅調なのである。ブランドの中でラグジュアリーと呼ばれるブランドはすなわち「凄さ」を持つブランドである。この展開方法が近年急速に変化していったのだ。ブランドごとの世界観を出す為にはそれぞれのブランドがその「意

匠の特徴」を(イメージ写真 壁 色 光 )を消費者に見せることが絶対的な付加価値であった。

 

ところが今回の改装ではラグジュアリーブランドがあたかも駅のファッションビルで展開している

ようなフレンドリーな雰囲気で展開されているのだ。わかりやすく言えば「箱形」の壁を取っ払ってしまったのだ。手軽に選べるラグジュアリ-ブランド化が進んでいるのだ。ここにも「凄い」というラ

グジュアリーブランドの変化が見受けられる。

 

「凄さ」への憧れは社会全体でみれば現象化している事は事実だとはおもう。しかし人間の歴史は「凄さ」が持つ「憧れ」への憧憬が大きなエネルギーになっている。では「凄さ」は本来どこから産ま

れてきたのだろう。それは「王室・皇室」だと僕は思う。人間の憧れピラミッドをイメージしてほしい。この三角形の頂点に君臨するのが「王室・皇室」でありその下に「貴族」がいてその下に「平民」

がいるのだ。これが「凄さ」の歴史的な人間ピラミッドの構図である。そして人間は「凄さ」を持つ人たちのライフスタイル全てに憧れる。階級は無理だが持ち物は同じ物をと思う。それが大きなエネ

ルギーとなって人類の歴史を動かしてきたのだと思う。

 

例えばエルメスはナポレオンやロシア皇帝から愛された馬具メーカーであった。その憧れで貴族から愛されて馬具メーカーとして育ったのだ。車のINNOVATIONがおきてもこの「憧れ」は継続されていった。モナコ王妃のグレースケリーがエルメスのバッグで妊娠しているお腹を隠した写真が掲載された。その瞬間から大ヒットが今でも続いているのだ。(エルメスはケリーバッグというネーミング

の了解をもちろん取っている)

 

「凄さ」という価値感が静かに大きく変化している。

そして人々の憧れも「凄さ」から「自然」や「穏やかさ」や「安定」や「継続性」に向かっている気がする。